Anges Purs, Anges Radieux

音楽・詩・舞踏ー地獄の天使

紅蓮の座標ー歌詞(劇場版サイズーWEB配信版からの聞き取りコピー)

 

「狩人(かりうど)」だと嘯(うそぶ) いた 
お前は飢えた獣(けもの)
馴れ合うくらいなら  
死んだ方がマシだと咆(ほ)えた
 
血に塗(まみ)れた屍(しかばね)の 
光無き瞳が射る
牙を失くすのなら  
孰(いず)れ恨むだろうと謳(うた)う
 
不条理なもんさ 
俺達は小さな勝利でさえ
引き換えるには 
あまりにも大きなリスクを払わされる
 
犬死にしたい訳じゃない  
なぁ 死んでも死に切れないだろう?
その意志は無駄じゃない  
この侭じゃ終わらせない
奴等を根絶やしにする迄は
 
《この残酷な世界では》
 
夕闇に染まるのは  
標的か己か
弓形(ゆみなり)に弾け飛び  
獲物を屠れ  
 ≪狩人(イエーガー)≫
黄昏に放たれた 迸る殺意が 
群れを成し穿つのは
 紅蓮の座標
 
咆える事しか出来なかった
あの日の少年は
武器を取り
多くの仲間を得た
孰(いず)れ進撃の嚆矢(こうし)は 
斜陽の空を貫く  
 座標めがけて

 

The Assorted Horizons についてーサンホラメジャーデビュー10周年

The Assorted Horizons は2004年から2013年までのSound Horizon および Linked Horizonの発表作品の中から、これまで未公刊のライブ録画を編集したものである。10年間にわたって「物語音楽」の創造という前人未踏の領域を開拓 したRevoさんの活動の軌跡を振り返るのにふさわしい記念ディスクでもあった。
 メジャーデビュー直前のアルバム chronicle second から「キミが生まれてくる世界」が選ばれて、2010年の「国王聖誕祭休日スペシャル後夜祭」でジョエルさんがカバーしたものが収録されている。古くから のサンホラファンにとっては、この曲はCDのAramary嬢の歌声と分かちがたく結びついているために他の人がカバーするのが難しい曲であるが、ジョエ ルさんの場合は、メルヘンのエリザベートを想起させる、高貴な舞台姿と澄み切った声が極めて印象的であった。2010年の「イドへ至る森へ至るイド」の 「この狭い鳥籠の中で」の伝説的な名演と併せて、彼女の歌をたっぷりと聞けるだけでもこのディスクは買いである。
 Disk2 に収録されたリバイアサンのEDも素晴らしい。ただし、ビデオ編集者には若干、文句をつけたいところがある。終末論のイメージを意識しすぎたのか、画面を 加工しすぎて、ジョエルさんの本格的な歌唱を集中して聞くことができない。これはあえて「駒落ち」のような手法を使った「星間超トンネル」の場合と同じ く、凝りすぎたビデオ編集がライブの素晴らしい歌唱の鑑賞を妨げている箇所があった。余計な小細工をせずとも、ジョエルさんの歌唱はそれだけで絶品だった し、サンホラのライブの魅力と会場の一体感は十分に味わえるのだから。
 リバイアサンやポカフェリは、物語部分がすでに漫画やアニメにあったもの に、Revoさんが楽曲を提供したものなので、作詩作曲および作品の背後にある物語まですべて一人で創作している彼の本来の作品とは区別すべきものだろ う。しかしながら、どちらも、完成されたアルバムは、のちのLinked Horizon 名義の作品群と同じく、彼の創造的個性の刻印された世界を形成している。
 旧約聖書に出典を有つリバイアサンの神話的表象を現代日本の東京を舞台 として繰り広げるという発想は面白いし、おそらく原作の漫画を知らなくとも、そのコンセプトをどのように物語音楽に具体化していったか、そのプロセスが非 常に興味あるところである。東京という独自の表象文化を有つ舞台で、コスモポリタンとして創作活動を続けるアニメーションやManga の作者たちの世界に入り込みつつ、音楽の領域でこれほど実験的な試みをしている作家は外にいないのではないか。Gunslinger girl という漫画は、拳銃をもつ非情な殺し屋のイメージと無垢な少女を取り合わせるという奇想天外な、しかしたぶん深層意識に訴える神話的原型をもつ物語であ る。Revoさんは、ガンスリに「Poca Felicita ー少女たちの小さな幸せ」というサブタイトルをつけて、イメージアルバムを造った。そして主題曲に、日本人であるにもかかわらずイタリア語で歌詞をつける 言う破天荒な試みをしている。知らぬ人が聞いたら、作詩作曲を日本人が兼ねているとは思わないだろう。ただしこれは「幻想世界のイタリア」であって、現実 のイタリアでないことはもちろんである。ちょうどプッチーニが作曲した蝶々夫人の歌詞がどれほど日本人には異様に思われるにせよ、西欧人には「幻想世界の 日本」として人気を博しているように、この歌はイタリア人が聴くと奇妙な印象を受けるかもしれないが、イタリア語を母語としない人にとっては、(日本人だ けでなく中国人、アメリカ人やドイツ人にすら)エキゾチックで一度聞いたら忘れないようなメロディーに乗せられた名曲である。YouTubeには、ドイツ 語訳をつけたバージョンが公開されているが、それを聴いたドイツ人が実に好意的なコメントをつけていたのが想い出された。ブルーレイ版の編集に際しても、 日本語訳をつけるべきだったろう。その理由は、歌詞の内容が重要なので、それがわからなければ、作品の世界に入っていけないからだ。なぜ、雨が降りしきる 情景が演出されているか、それは、このテーマ曲の歌詞の「さび」の部分ー「銃を持った少女は哀しみの雨のなかを駈けていく。ああ、彼女が明日天に召される としてもその空は変わらないだろう」にある。Revoさんはこの主題を様々にアレンジして使っている。そしてポカフェリのEDでは最後にこのモチーフが繰 り返され「この過酷な人生の中で彼女たちが『小さな幸せ』を見つけられますように」という言葉で結んでいる。なかなかよく考えられた構成であるといえよ う。このような楽曲の根柢にあるコンセプトはRevoさんの初期の作品に共通するものだ。今回のディスクには、この『小さな幸せ』を祈る少女たちの悲劇の 部分が、木村花代さんとジョエルさんのデュエットで収録されていたが、これもなかなか聴き応えがあった。
 常に新しいことに挑戦しつつ同時にその土俵の中で過去の作品を復活させるというのが、Revoさんの創作活動の作法だろう。昔の作品を再上演する場合でも、単純な繰り返しを常に避けている。新しいことに挑戦できるのは、常に豊饒となりゆく過去が反復されているからだ。
 サンホラはギリシャ語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語を歌詞の中に自由に取り入れているが、私は彼の作品には優れて日本的な情念の伝統を感じる。世界の凡ゆる文化に旺盛な好奇心をもって吸収し独自の仕方で並存させ共生させて来たのが日本文化なのだから。
  欧米のミュージカル顔負けの本格的な舞台を造るようになってきたのだから、作曲・作詩・プロデュースすべて一手に引き受けているRevo さんのプレッシャーは相当なものだろうと推察する。創造には「遊び」と「空白」の歳月もまた必要である。次の第8の「地平」は気長に待ちたい。
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レ・ミゼラブルのアリア(フランス初演版)

 ミュージカルはオペラの現代版である。イタリアや仏蘭西、ドイツという優れたクラシックの楽曲を生みだした欧羅巴の国では、20世紀になるとオペラは、次第に古典藝術扱いとなり、元々もっていた大衆性は失われた。ところが、このオペラの伝統は、20世紀になるとイギリスやアメリカにおいてミュージカルという名前で現代化され、優れた新作を次々と生み出すこととなった。ミュージカルは伝統的なオペラよりも自由度が高く、歌手もべつにオペラ歌手のように特別の訓練を受けた歌手である必要はなく、ロックの人気歌手でも舞台俳優でも構わないのである。歌詞も、原語上演にこだわらず、上演される国の言語に翻訳して歌われることが多い。オペラは正装して観劇しなければならないといった固定観念があるが、ミュージカルだったらどんな恰好をして劇場に行っても構わない気楽さがある。客層もオペラのほうが年齢層が高いが、ミュージカルは若い観客も多くなる。これには、英米にはロックやビートルズによって世界化した若者向けの音楽を取り込んだ新作ミュージカルが廣い観客層を開拓したことも関係があるだろう。

クラシック・オペラが原則としてヨーロッパ大陸の観客のためのものであったのに対して、ミュージカルは、イギリスやアメリカを主たる発信地としつつも、国境をこえて世界的にヒットした作品を幾つも生んでいる。そのなかでもレ・ミゼラブルは翻訳上演された国々の数が圧倒的に多いことでも知られている。

 

レミゼラブルのアリアは、フランス初演版では第一幕冒頭で、女工との争いが本で解雇されたフォンティーヌが歌うアリアであったが、後に、イギリスで英語版に翻訳・改訂されたときに、第一幕ではなく第二幕の冒頭で、歌い手をエポニーヌに変更して歌われたから、メローディを聴けば、レミゼのファンには、「あああの曲か」とただちにわかる名曲である。ただし歌詞は全く異なっている。原曲は「ミゼール(悲嘆)のアリア」だが、英語版では「片思いのアリア On My Own 」である。

 ついでに云えばフランス初演版で、女工達と争いを起こしたフォンティーヌを解雇したのはジャンバルジャンその人である。英語改訂版では、男性の工場長(悪役である)に歌わせている抑圧者のメロディーが、ここではジャンバルジャン自身によっても歌われていることに、私は最初は驚いた。しかし、よく考えてみれば、そのほうが、バルジャンが自己の過ちに気づいた後で、なぜ、命がけでコゼットの救済に趣かねばならなかったか、また彼女を養育する親の役割をフォンティーヌに代わって果たすことを自己の義務としたか、その贖罪の心理をより説得力を持って描き出しているとも言えるだろう。

 解雇されたフォンティーヌが絶望して歌う「アリア」は、英語版で「I dreamed a dream」に置き換えられているが、こちらのほうはフランス初演版では、ミュージカル映画レミゼラブルとおなじく、娼婦に身を落とした後でフォンティーヌが歌っている。その歌詞の冒頭は「J'avais rêvé d'une autre vie 私は別の人生を夢見る」であり、絶望の淵からの叫びであることが、叙情的な調べをもつ英語版の冒頭よりもはっきりと出ている。

 英語版でエポニーヌが歌うことになった「アリア」は、フランス語でフォンティーヌが歌うのを聴くと、悲惨さの質が非常に異なっていることに気づく。それは、片思いの苦しさを歌う女性の歌などではまったくなく、王政復古の時代のフランスの社会的な構造に由来する貧しき民と女性の置かれた悲惨さを表現している点で、より社会性の強い歌である。

 このメロディーは英語版でもフランス語版と同じようにミュージカルの最後で、ジャンバルジャンの死の場面でも登場するから、このミュージカルのテーマ曲とも云うべきアリアとして構想されたことは間違いない。

 

 

グノーのファウスト

グノーのファウスト、最後の三重唱がいくつかYOUTUBEにアップされているが、次のものが最も印象に残った。余計な演出や舞台装置に凝らずに、ただ歌詞とメロディーだけで聴かせているのが良い。


Teodor Ilincai - Faust: Trio Final Faust - Macerata ...

宝塚版 ファントム

宝塚版のファントムは、1990年の映画版と原作が同じであるということは聴いていたが、私は未見であった。幸いYoutube に原作のミュージカルと宝塚の両方が掲載されていたので閲覧することができた。どちらもファウストの最終場面が出てこない点で落胆したが、考えてみればオペラ歌手でなければグノーのマルガレーテの三重唱は歌えないから、これを省略したのはやむを得ないだろう。それよりも私は宝塚のファントムの主役を演じた和央氏に非常に感心した。文字通り花のある役者ぶり。ここにはアメリカの原語版にはない華やかさがある。出雲の阿国いらいの日本の歌舞伎演劇の伝統が宝塚の中に生きていることを実感した。コピット版はその繊細さが宝塚にあっており、英語版にはない華やぎは母音が明るい日本語の歌詞がうみだすものでもあろうし、また繊細な情念の表現には、女性がすべてを演じた方がむいているのかもしれない。本場のアメリカのミュージカルのように男性が演じるファントムはいかにも女性的で頼りなげに見えるのだが、女優が男役でファントムを演じると、そのような女々しさがかえって消えてしまい、ファントムの中にある少年のような特有の魅力が出てきて面白かった。

 


Takarazuka's Phantom (Soragumi) - YouTube

「ファウスト」と「オペラ座の怪人」ー牢獄の天使の歌

ALWの「オペラ座の怪人」はミュージカルとして空前のヒット作となり、映画化もされているが、ヒロインがプリマドンナのカルロッタの代役で大成功を収めたシーンは、じつに馬鹿げたものだという印象を拭えなかった。ハンニバルとか象の張りぼてなどが登場するオペラ、ヒロインの歌う think of me などは、まあ、バレーが入ってそれなりに舞台映えするわけだが、率直に言って通俗的なメロドラマの音楽。ガストン・ルルーの原作にあるような強烈なインパクトのある歌をヒロインが歌ったとはとても思えないのである。第一演目が違う。ここは、グノーの「ファウスト」でなければならないのである。ルルーは次のように書いている。

「今夜の彼女の気高いまでの素晴らしさは一体何に起因するのか?それは愛の翼にのって天から下ってきたものか、さもなければ、地獄から昇ってきたもので、クリスチーヌは、マイスタージンガーのオフターディンゲンのように悪魔と契約を結んだとしか考えられない! クリスチーヌの歌う『ファウスト』の最後の三重唱を聴いたことの無いものは『ファウスト』を聴いたことがないも同然だ。あれ以上見事に感情の高ぶりを歌にこめ、汚れない魂の清らかな陶酔を表現するのは不可能だろう!」

ところで、ALWのミュージカルでは全く無視されたグノーの「ファウスト」が、1990年のアメリカのTV映画の「オペラ座の怪人」では、作品の勘所とも云うべき箇所で効果的に使われており、とくに最後の三重唱が、大詰めの場面にでてきたことに大いに感心した。若きファウストと怪人ことエリック、マルガレーテとクリスチーヌとをかさねることによって、この映画に、他の怪人ものにはない気品を与えている。これは脚本家と映画監督の手柄だろう。この映画のラストシーンを見るとALWのミュージカルでさえ、なんだか安っぽく思えてきた。

 
The Phantom of the Opera 20/21 (1990 Kopit ver ... 

 

この映画では、ALWの Love never dies のようなメロ・ドラマのつけ込む余地は全くなく、ファントムことエリックは若き伯爵の命を助けたうえで、オペラ座で死を迎える。この世では結ばれぬ運命を強調することによって超越への渇望と悲劇性がよりはっきりと出ていると言ってよいだろう。

Constant Angel  変わらぬ天使

 Constant Angel はBBCのイースター特集で宗教音楽として紹介されていた。歌っているのはオペラ座の怪人25周年を記念したロンドン公演でファントムことエリックを演じたラミン・カリムルー。  


RAMIN KARIMLOO-CONSTANT ANGEL - YouTube

歌詞を邦訳してみた。 

I have watched you fall     挫折した君を僕は見守ってきた
Through those tender years   あの若い頃の歳月を通じて
And every time I thought there must be more that I could do 僕がしてあげられない沢山のことがあるに違いないと思ったときはいつでも
You found a light, a different way out there in front of you 君は光を、君の前にある違った出口をみつけたものだ

I am in your eyes   僕は君の目の中にいるんだ
Just that close to you  そんなにも君の近くに居るんだよ
And now I see your innocence against a troubled sky 今は嵐の空であっても君に罪がないことが僕には分かるから
Everything you once believed is now a question why君が昔信じたことが全部今は疑問符になっているけれど
It's OK  それでも大丈夫

Don't lose your faith 信仰を失わないで
Don't turn away   脇道にそれないで
Everything that makes you who you are will not lead you astray 君自身を創ってくれたどんなものも君を迷わせることはないよ
When it gets cold  寒くなり
Too dark to see  あまりにも暗くて見ることが出来なくなったら
Reach in your soul and find me there, I'll always be 君の心の中を探ってみたらそこに僕がいるのさ、ぼくはいつでも
Your constant angel きみの変わらぬ天使なのさ
Your constant angel 君のかわらぬ天使

Who could ask the years   君を真理から遠ざけた
To keep its truth from you   歳月のことは問題じゃない
There will be times you won't believe in much of anything どんなことも信じられなくなる時があるだろう
That's when you'll find the grace of God in just surrendering そんなときこそ、ただ委ねてごらん、そこに神さまの恵みがある、
It's OK  大丈夫

Don't lose your faith  信仰を失わないで
Don't turn away    脇道にそれないで
Everything that makes you who you are will not lead you astray 君自身を創ってくれたどんなものも君を迷わせることはないよ
When it gets cold 寒くなり
Too dark to see  あまりにも暗くて見ることが出来なくなったら
Reach in your soul and find me there, I'll always be 君の心の中を探ってみたらそこに僕がいるのさ、ぼくはいつでも
Your constant angel きみの変わらぬ天使なのさ

In every prayer   どの祈りの中にも
I am constantly there with you 僕はいつも君と一緒に居る

Don't lose your faith  信仰を捨てないで
Don't turn away    脇道にそれないで
Everything that makes you who you are will not lead you astray 君自身を創ってくれたどんなものも君を迷わせることはないよ
When it gets cold 寒くなり
Too dark to see  あまりにも暗くて見ることが出来なくなったら
Reach in your soul and find me there, I'll always be 君の心の中を探ってみたらそこに僕がいるのさ、ぼくはいつでも
Your constant angel きみの変わらぬ天使なのさ

Your constant angel きみの変わらぬ天使なのさ

Your constant angel きみの変わらぬ天使なのさ

ラミンの歌聲は、女性にはきわめてセクシーに聞こえるらしい。彼が歌うと讃美歌がどうしても恋の歌に聞こえてしまう。こんな歌を聴かせられたら教会に女性信者が増えること必定という気がする。もっとも、讃美歌も愛の歌と同じように人々を心の底から動かすスピリチュアルな歌でなければならないし、「マタイ受難曲」のような謹厳なる宗教曲も、もとはといえば当時流行していた恋の歌から旋律を借りたものが多数含まれていたのだから、ラミンの歌う讃美歌が恋唄に聞こえたとて不思議はない。

20代の時に「愛は決して死なない」というミュージカルで聴衆を魅了したラミンは、オペラ座の怪人のイメージを一新したが、その彼が、ファントムのような歌だけでなく、こういう讃美歌も歌っているのが面白い。