Anges Purs, Anges Radieux

音楽・詩・舞踏ー地獄の天使

レ・ミゼラブルのアリア(フランス初演版)

 ミュージカルはオペラの現代版である。イタリアや仏蘭西、ドイツという優れたクラシックの楽曲を生みだした欧羅巴の国では、20世紀になるとオペラは、次第に古典藝術扱いとなり、元々もっていた大衆性は失われた。ところが、このオペラの伝統は、20世紀になるとイギリスやアメリカにおいてミュージカルという名前で現代化され、優れた新作を次々と生み出すこととなった。ミュージカルは伝統的なオペラよりも自由度が高く、歌手もべつにオペラ歌手のように特別の訓練を受けた歌手である必要はなく、ロックの人気歌手でも舞台俳優でも構わないのである。歌詞も、原語上演にこだわらず、上演される国の言語に翻訳して歌われることが多い。オペラは正装して観劇しなければならないといった固定観念があるが、ミュージカルだったらどんな恰好をして劇場に行っても構わない気楽さがある。客層もオペラのほうが年齢層が高いが、ミュージカルは若い観客も多くなる。これには、英米にはロックやビートルズによって世界化した若者向けの音楽を取り込んだ新作ミュージカルが廣い観客層を開拓したことも関係があるだろう。

クラシック・オペラが原則としてヨーロッパ大陸の観客のためのものであったのに対して、ミュージカルは、イギリスやアメリカを主たる発信地としつつも、国境をこえて世界的にヒットした作品を幾つも生んでいる。そのなかでもレ・ミゼラブルは翻訳上演された国々の数が圧倒的に多いことでも知られている。

 

レミゼラブルのアリアは、フランス初演版では第一幕冒頭で、女工との争いが本で解雇されたフォンティーヌが歌うアリアであったが、後に、イギリスで英語版に翻訳・改訂されたときに、第一幕ではなく第二幕の冒頭で、歌い手をエポニーヌに変更して歌われたから、メローディを聴けば、レミゼのファンには、「あああの曲か」とただちにわかる名曲である。ただし歌詞は全く異なっている。原曲は「ミゼール(悲嘆)のアリア」だが、英語版では「片思いのアリア On My Own 」である。

 ついでに云えばフランス初演版で、女工達と争いを起こしたフォンティーヌを解雇したのはジャンバルジャンその人である。英語改訂版では、男性の工場長(悪役である)に歌わせている抑圧者のメロディーが、ここではジャンバルジャン自身によっても歌われていることに、私は最初は驚いた。しかし、よく考えてみれば、そのほうが、バルジャンが自己の過ちに気づいた後で、なぜ、命がけでコゼットの救済に趣かねばならなかったか、また彼女を養育する親の役割をフォンティーヌに代わって果たすことを自己の義務としたか、その贖罪の心理をより説得力を持って描き出しているとも言えるだろう。

 解雇されたフォンティーヌが絶望して歌う「アリア」は、英語版で「I dreamed a dream」に置き換えられているが、こちらのほうはフランス初演版では、ミュージカル映画レミゼラブルとおなじく、娼婦に身を落とした後でフォンティーヌが歌っている。その歌詞の冒頭は「J'avais rêvé d'une autre vie 私は別の人生を夢見る」であり、絶望の淵からの叫びであることが、叙情的な調べをもつ英語版の冒頭よりもはっきりと出ている。

 英語版でエポニーヌが歌うことになった「アリア」は、フランス語でフォンティーヌが歌うのを聴くと、悲惨さの質が非常に異なっていることに気づく。それは、片思いの苦しさを歌う女性の歌などではまったくなく、王政復古の時代のフランスの社会的な構造に由来する貧しき民と女性の置かれた悲惨さを表現している点で、より社会性の強い歌である。

 このメロディーは英語版でもフランス語版と同じようにミュージカルの最後で、ジャンバルジャンの死の場面でも登場するから、このミュージカルのテーマ曲とも云うべきアリアとして構想されたことは間違いない。